西蔵旅行記 6
8月6日。ラサを離れる日も強行スケジュールだった。8時にはホテルを出発し空港近くの寺へと向かう。毎日のようにお寺を見学した私はかなり食傷気味だったが、ダワさんの熱弁は今日も変わらない。どの寺にもその寺の歴史があり宝があった。今日訪れたゴンカル・ドルジェデン寺の壁画はチベット密教の至宝的存在だと紹介される。残念なことに保存技術がないため劣化の危機に日々晒されている状態だった。男女の神様が抱き合い舌を絡めている歓喜仏が描かれた壁画を初めて拝見する。性による解脱?そんな解脱があるのかと密教にがぜん興味が湧いてくる。
それにしても、どのお寺でも僧侶が修行をしている姿に出会った。巡礼をする人々に出会った。お布施をする人々に出会った。宗教が日々の暮らしをつくり、人生を導いていた。トルコ石の湖ヤムドク・ユムツォに前夜からテントを張って泊まり、私たちの昼食を準備してくれたチベットの人がいる。その人がテント近くの石の下にいたサソリを見せてくれたのだが、このサソリは昨夜テントに侵入して来たらしい。殺さずに逃がしたサソリが石の下にまだいたのである。チベット人は虫を殺さないことは聞いてはいたが、虫レベルではありません、相手はサソリですよ!と驚くしかなかった。
チベットでは今でも鳥葬がおこなわれていることも私を驚かせた。死んだ後、魂の抜けた肉体には何の未練も持たないのがチベット仏教らしい。輪廻転生の教義の中では肉体は借り物でしかないのだろう。ダワさんの村では今でも村人達で鳥葬を執り行うと聞いた。村には鳥葬する場所があり、そこで遺体は解体される。解体した肉片は集まってきたハゲタカに与えられる。人として生きた最後の布施である。鳥葬はチベット仏教とリンクしていると同じように、チベットの自然環境ともリンクしていた。樹木の少ない土地では火葬はできない。微生物の働きが弱い土壌では有機物の分解が進まず土葬に適さない。鳥に食べてもらうしかない。広いチベットでは水葬もあるそうだがその地方はハゲタカがいないそうだ。