がらがら橋日記 K先生
K先生は、小学校一、二年生の時の担任である。にこにこ寄席が新聞の一面に出たことで先生の目にとまり、そこにあったぼくの職場に、
「今さらと思ったけどね、なんかあなたの名前は覚えていてね、思い切って出したわね。」
という葉書が届いたのだった。そのおかげで、ぼくはK先生の部屋でお茶をいただいている。
葉書を読んで、すぐにでも訪ねたいと思ったのだが、用事のある週末をいくつか過ぎてしまうと、徐々に腰が重くなった。ぜひお目にかかりたい、などと返事を書かなければよかったと後悔するほどに。これは、社交性を欠く元来の性情が顔を出してくるためで、いつもねじふせるのに苦労する。
「女学校出てから、浜田の師範学校に行ってね。そこじゃあ、作業ばっかりしちょったね。だから勉強あんまりしてない。教員になった年に終戦だった。」
足こそ不自由だが、ぼくは声を大きく必要もなく、会話は何不自由なく続く。K先生の前歴を初めて知る。小学校低学年に語られるはずのない話ではあるのだが。
ぼくが教わった後、同じ学校で再度一、二年生を担任して退職されたのも初めて知った。
「その年から一年延びて、四十六で退職だったからね。」
「えっ。」
「仕事を持つ夫がいるとそうだった。」
電気ポットの蓋が少し開いている。K先生がそれに気づいてちょっと手こずりながら閉める。
「あなたがね、あじさいの花をお家から持ってきてくれたことがあったでしょう。」
全く覚えていない。
「もっとうまく世話すれば、長持ちさせられたのに、いくらもしないうちに弱らせてしまって。あれが申し訳なくてねえ。」
建てたばかりの、まだ小さな、内装も完成していない家、今よりずっと日がたっぷり差した裏庭、確かにそこにあじさいが咲いていた。裁ちばさみを手にしたまだ若い母が大好きなK先生に、とぼくに持たせたのだった。きっと。
K先生の悔いが今はよくわかる。子どもが覚えているはずのない小さな痛みを教師は忘れることができない。思い出したくないのに思い出す。
帰りの車の中、K先生を訪ねたことが今年一番の快事、と思えて爽快な気分だった。