続人生の踊り場 ソワレの終わりに
妻が福山雅治さんの大ファンで、彼の主演映画が公開されるたびに観賞のお相伴に与っている、というくだりは以前も書きました。そしてこの度の新作は『マチネの終わりに』。平野啓一郎氏の同名小説の映画化です。
世界的な天才クラシックギタリストの蒔野(福山雅治)と、フランスの通信社で活動する国際ジャーナリストの洋子(石田ゆり子)との運命的な出会いと別れと再会を、クラシックギターの音色に乗せて描いた大人の恋物語でした。
還暦前の爺さんが語るには気恥ずかしい内容ではありますが、逆にこの映画はそれなりの歳月を重ねた人ではないと素直に入り込めない相貌を持った作品ではないかと思います。自分の人生を登場人物のそれに投影して、ある程度の意識を同化させることができないと、二時間十分もあるこの気怠い映画を見続けるのは結構しんどいに違いありません。
銀幕を見詰め、科白を聞きながら、左隣に座っている妻を意識しつつ『ああそういえば、結婚する二年ほど前にあった見合いの話を受けていたら、もしそれで縁談が纏っていたらオレの人生はどうなっていたのだろう。そのときの相手の女性は、今どこで何をしているのだろうか』などとすっかり忘れていた記憶が蘇り、アンジャッシュのコントのようなすれ違いで別れた二人がこの後どんな結末を迎えるのかが気になって、最後まで時間を持て余すことなく見終えることができました。
僭越ながら分ったような口を叩かせて頂きますと、この映画を見て何これ?と感じた方は、まだ人生の積み重ねが足りない人。とても良かったと感じた方は、今の生活に何がしかの幸福を見出している人。不覚にも泣いてしまった方は、過去を引き摺っている人。福山雅治さんはやっぱし素敵、格好ええなぁと(恐らく)思っているのは左隣の人。石田ゆり子さんは可愛いけどオバちゃんになっちゃったなぁ、と思ったのはその右隣の人。
それにしてもガラ空きの暗闇の中、我々の前方中央あたりで一人ぽつねんと見ていた中年らしき男性は、果たして何を思ったのでありましょうか。