手作りのくらし2 干し柿
今年は柿の生り年なのか、松江の我が家の庭でも柿が久々によく生った。
私がこの家に来た頃は、毎年大きな実の富有柿が数個ずつ生っていたものだ。四半世紀前、三十ちょいで逝ってしまった義弟が卒業記念に植えたものだという。
それが、庭木の剪定を頼んだ際、ばっさりと枝を落とされてからというもの、全く実が生らなくなってしまった。出雲の家の庭にある西条柿もだったが、柿は枝を大胆に落とすと、しばらくは生らないようだ。この富有柿も十年余り実が生らず、去年ようやく三個ほど実が付いたのだった。
その柿の木に、今年は数十の実が付いた。猛暑に焼けるのでは、台風で落ちるのではと、出雲の柿同様に眺めていたが、実は枝にへばりついている。十数年ぶりに、おいしい富有柿にありつける。ところが、夏の終わり、イラガに葉を食い尽くされてしまったのだ。枝に実だけが付いた異様な姿になっている。服を纏わない棒っ切れの先に顔だけ付いた案山子のようなものだ。このままでは実も落ちてしまうかもしれない。
ほぼ一日おきにデイサービスに行く義母を送る朝、いつものように家の前で迎えの車を待っていると、「おい、母さん。ほら、見てみ」と、夫。家の横からだいだい色を覗かせている柿の枝に、薄緑色のものがちらほらと見える。新葉が付き出したのだ。柿の実が多数生ったこと以上の驚きだ。小さなつやつやした黄緑の葉から、沸き立つような力が感じられた。
実は、最終的には三十数個採れ、枝ごと玄関の飾りになったり、近所に配ったり、百歳前の義母や孫たちの食後のデザートになったりと、大活躍。私たちに活力を与えてくれた葉は、見事に色づき、役目を果たして庭の絨毯となった。