ニュース日記 717 快感原則の成長と老化
30代フリーター 中高年男性向けの週刊誌が「死ぬまでセックス」などとあおる特集をしているのを新聞広告でよく見かける。ジイさんも人ごとじゃないだろ?
年金生活者 男性機能の衰えとその果てにある全面停止は、現在進行中の老化と、やがて来る死を象徴する事態だからな。
若いころ、何かに自信を持ったとき、性欲が亢進するのを覚えた。老いた今は性欲の衰えが自信を減退させている気がする。ここでいう自信とは人並みのことをできる自信を指す。人並みのこととは世間の掟にしたがった振る舞いのことであり、フロイト流にいえば現実原則にかなった行動だ。
一方、性欲のほうは成人の性交欲という意味だ。それは常に現実原則の制約を受ける。母の乳房を吸うのに快感を覚える小児の性欲が現実原則の制約をあまり受けないのと対照的といっていい。性交欲は現実原則の制約を前提にした欲望であり、もしその制約がなくなれば減退するだろう。
だから、現実原則にかなった振る舞いができたとき、言い換えれば人並みのことができる自信を持ったとき、性欲も亢進する。思春期から青年期にかけては現実原則を身に着ける時期であり、それをひとつ身に着けるたびに性欲が亢進し得ると考えることができる。
老いることでいちばん思い知らされることのひとつは性交欲の衰えだ。それを無意識のうちに自信と連動するものとしてとらえる長年の習慣が、自信の減退を強いる。さらに、現実原則にかなった振る舞いを次第にできなくなっていく老化の過程が、それに追い打ちをかける。
30代 週刊誌が売れるはずだ。
年金 いま72歳になる私は、もともとあった感情の過敏さが50代なかばくらいから次第にエスカレートしてきた。自分の言動をだれかに否定されたりすると、心に痛みを覚えることが頻繁になった。私なりにいくつか考えついた原因のうち、ひとつが性とかかわっている。
30代 無理してこじつけなくていいよ。
年金 フロイトの想定した快感原則は、緊張が生じるとそれを解消しようとする無意識の心の傾向を指す。それは乳幼児期、青壮年期、老年期で異なる働き方をするというのが私の理解だ。つまり緊張と解消の振幅が生涯の時期によって異なっている。
緊張の度合いが高いと、それが解消されて元に戻る際の変化の幅は大きいし、緊張度が低いと復元の幅は小さい。その振幅は乳幼児期は小さく、青壮年期に大きくなり、老年期には再び小さくなる。
乳児は快感原則にしたがって、空腹にともなう緊張を母乳の摂取で解消する。それは同時に母の乳房を吸うことで快感を得ることでもある。授乳は通常なら1日に何回も行われるから、空腹は浅く、それによる緊張の度合いも低い。したがって、緊張の解消によって得られる快感、すなわち授乳で得られる快感もそれに見合って、深いものにはならない。
この乳児の快感は成人すると性交による快感に取って代わられる。性交の機会は授乳と違って限定されるから、それに対する欲求は乳児の空腹よりも緊張度を高める。その解消にともなう快感、すなわち性交による快感はそのぶん授乳時の快感よりも深くなる。
30代 年を取るとそれが難しくなって、あがくわけだ。
年金 緊張と解消の振幅の大きさは、老化による生殖機能の衰えとともに、再び乳幼児期のように小さくなる。振幅が大きいときは、小さな打撃の痛みは大きな緊張によって麻痺させられたり、大きな快感によって和らげられたりして、あまり気にならない。ところが、振幅が小さくなると、それを敏感に感じ取るようになる。
30代 快感は子供と大人でどう違うんだ。
年金 性交時の快感は、胎児が恒常的に感じている快感の濃縮されたものと考えることができる。そのぶん鋭く、胎児のなだらかな快感と対照をなす。
濃縮されるのは、恒常性が失われるからだ。母胎の宇宙と一体化し、自らが宇宙そのものでもある胎児は外部を持たない。フロイトのいう現実原則が入り込む余地がなく、快感原則が常に貫徹される。つまり胎児の快感は恒常的だ。
生まれ落ちて乳児になると、とたんに外部が出現し、快感の恒常性が寸断される。途切れ途切れにしか快感を覚えることができなくなり、代わりにそのぶん快感が濃縮され、鋭くなる。乳児が母の乳房を吸うときに覚える快感がそれに該当する。
成人して生殖機能が備わると、性交時の快感が加わる。それは乳房を吸う快感をはるかに上回る鋭さがある。性交は母乳を飲むようにしょっちゅうはできないので、それだけ快感が濃縮される。
加齢とともに生殖機能が衰えると、そうした濃縮された鋭い快感を得ることが難しくなる。いやおうなく子供に戻っていく。鋭かった快感はなだらかになり、快感を覚える時間は長くなる。最後は胎児のそれのように快感とは言えないくらいに平坦さを増し、恒常的になる。
老いにはまだ遠いのにセックスレスになったカップルの中には案外それを心地よく感じているペアもいるのではないか。それは乳児が母の乳房を吸うときの快感、あるいは胎児が恒常的に得ている快感に近いかもしれない。