西蔵旅行記 4

 「ダライ・ラマ14世がチベットに留まるとチベット人がダライ・ラマ14世を守ろうとして命を落としていきます。だからダライ・ラマ14世はチベット人をこれ以上殺させないために亡命しました。」1959年のダライ・ラマ14世のインド亡命についてダワさんはこんなふうに説明してくれた。以来、チベットを自国にしようと同化政策を推し進める中国とそれに抗うチベット人との確執は今でも続いており、その緊張感は観光客である私にも伝わってきた。
 ホテルから出るときはパスポートを必ず持って出ることを言い渡された。街中には至るところに監視カメラが設置されていた。一つの支柱に十数台のカメラが威嚇するように据えられている光景も目にした。これは、故障したり更新したとき古いカメラを取り除かない習慣の結果らしい。警察官の詰め所も旧市街では200メートル毎に設置されている。警察関係の建物や警察官を撮影することはタブーであった。中国には警察の他に武装警察という組織がある。この武装警察こそが中国国内の治安にあたる軍隊だということをこの旅で初めて知った。その武装警官の一団がバルコル散策中にもマシンガンを携えて我々を追い越していった。バルコルの入口では検問所があり所持品はチェックされる。その検問所で「今お前我々の写真を撮っただろう!」とツアーメンバーの一人が写真を強制消去させられ、肝を冷やす場面にも出くわした。旧市街はただの観光地ではなく、中国共産党が認めない信仰に生きるチベット人の生活の場であり、巡礼の聖地なんだということをやたらと目につく警察官が教えてくれた。
 チベットの人々から宗教を引き剥がそうとする中国当局の噂話も聴くことができた。最近仏具のマニ車を持って巡礼する人が減ったそうだ。それはチベット人の公務員がマニ車を廻しながらポタラ宮の周りを巡礼していたことで罰せられたという噂話が流れたかららしい。チベットでの公務員は高給取りだそうだ。若いチベット人でも公務員になったら高級外車のローンが組めるくらい社会的信用が保障されると聞いた。逆に公務員なのに宗教活動に熱を上げているといった烙印を押されると年金にまで響くし、親戚縁者にまで迷惑がかかるのだそうだ。まさに飴と鞭である。噂話から「マニ車を持って巡礼したら当局に目をつけられる」といった情報が広まり、公務員でない人も含めマニ車を持って巡礼する人が減るという現象が生まれているようだった。正確な情報が伝わってこない社会、法や規則の運用が曖昧だったり朝令暮改的な社会では人々は自己防衛をするしかない。
 今年はダライ・ラマ14世のインド亡命からちょうど60年の節目である。そんな年、ラサの主要道沿いにある看板は人民の解放をめざす中国共産党のスローガンと習近平主席の写真で溢れていた。そんな路傍でチベット人は噂話に耳をそばだて、無用な衝突は避けながらも人民の仲間入りをすることを拒み続けているようだった。