西蔵旅行記 3

 8月3日。ラサで初めての朝を迎える。外は小雨模様。雨期を迎えたラサでは夜中に雨が降り、昼間は割合晴れるそうだ。朝食会場でツアー一行と落ち合う。頭痛と吐き気、胃腸の不具合に苦しんでいるメンバーが多い。ガイドの渡部さんが一人ひとりの血中酸素濃度を計測して廻っている。私は93%、上々であると言われる。実は前夜からの発熱で熟睡できなかったため、夜中にも深呼吸を欠かさなかったおかげかも知れない。よく眠った人はその間呼吸が浅くなるので、寝起きは高山病の症状が出やすいそうだ。高山病恐るべし、食欲は落ちるし、安眠さえもおちおちとさせてくれない。
 今日は、この旅で一番楽しみにしていた世界遺産「ポタラ宮」巡礼である。映画「セブンイヤーズインチベット」のブラッドピット気分でポタラ宮の中に入れるものと期待していたら、周囲を巡るだけとのこと、肩すかしを食ってしまう。中に入るには事前の申請が必要であることや一分でも指定の時間に遅れたら中に入れてもらえないこと、見学時間も60分と限られているそうだ。ダワさんの説明からかなり見学が厳しく制限されていることが分かる。ラサ観光の超目玉である「ポタラ宮」であるが「入っちゃダメ、眺めるだけにしなさい!」と中国当局から諫められている感じがした。
 第二次世界大戦終結後、多くの国が独立を勝ちとったが、植民地となった唯一の国がチベットであると亡命チベット人ベマ・ギャルポは自著「チベット入門」で書いている。また彼は中国侵略以前、チベットは世界で最後の神政国家だったと紹介している。「シンセイ」とパソコン入力しても「神政」という変換文字は出てこない。国家体制としては実に希有な存在である。神政国家について「ダライ・ラマ法王は慈悲の菩薩、観音菩薩の化身と信じられており、その存在はチベット仏教の法王であり、政治上(俗界)の国王である」と解説されていた。今でも、チベット民族の間では法王であり国王であるダライ・ラマ14世が追われた「ポタラ宮」に漢民族や外国人の観光客を無制限に入れることをチベット人はきっと快く思わないのではないだろうか。入場を制限する中国当局の方針にはチベット人に対する配意と警戒心が含まれているようにも感じた。観光名所となった主なき「ポタラ宮」を仰ぎ見るチベット族の人々はいったい何を思うのだろうか。
 私がチベットに行きたいと思うようになったきっかけは二年前にさかのぼる。雲南市三刀屋町にある名刹、峯寺で毎年「チベットフェスティバル」が開催されているという情報をキャッチ。当日予定されていた「人間の幸せとは?チベットを通して考える」という対談のテーマに惹かれて参加を申し込んだ。対談は今回のツアーガイド渡部秀樹さんと福岡在住の亡命チベット人ゲレックさんによって行われた。ゲレックさんの話は私の想像力をはるかに超えるもので頭の中は混乱しまくった。一番印象に残ったのは命がけの亡命行である。ゲレックさんが12歳の時、ラサからネパールまでヒマラヤを越えて亡命した話だ。しかも冬季にである。冬季の方が監視がゆるく亡命しやすかったそうだ。見つからないように移動はもっぱら夜間にしました。昼間は凍傷にならないようにずっと足踏みしていました。そんな亡命行を淡々と語るゲレックさん。彼の話を私の頭の中で映像化することができず、何度か質問もしたが謎が謎を呼ぶようなことになってしまったのを今でも覚えている。「人間の幸せってなんだろう?」その問いはゲレックさんの話を聴くことでかえって私の中でふくらんでしまった。同時に信仰に根ざした生活によって人々が幸せに暮らしている地、チベットへの憧れもふくらんでいった。