ニュース日記 711 安倍政権の「反緊縮」
30代フリーター やあ、ジイさん。安倍晋三が臨時国会の所信表明演説で、れいわ新選組に所属するALS患者の参院議員と自分自身との交友を紹介し、「力を合わせていきたい」と呼びかけたと報じられている(10月5日朝日新聞朝刊)。
年金生活者 れいわは「反緊縮」を看板に掲げる唯一の国政政党だ。それと力を合わせたいというメッセージは政権が「反緊縮」の構えを強めている兆候と受け取ることができる。
30代 消費税を上げておいて何が「反緊縮」だ。
年金 批判を受けながらも軽減税率を導入したのは「反緊縮」の一環とみなすことができる。安倍内閣を支えてきたアベノミクスは金融緩和と財政出動を組み合わせた「反緊縮」を基本としており、それを手離すことは政権を失うことにつながる。ただ、消費増税に見られるように、徹底性を欠いているだけだ。
「みんなちがって、みんないい」というリベラル派好みの金子みすゞの詩まで引用して「多様性」を強調し、「1億総活躍社会」を宣伝した所信表明演説は、既成の左派・リベラル野党の出番を奪うだけでなく、既成野党の主張できない「反緊縮」で勢力を伸ばしたれいわ新選組の存在感を薄める狙いも感じられる。
30代 藤巻健史という経済評論家がツイッターで首相の所信表明演説を批判していた。「日本は30年間でGDPが1.5倍にしかなっていない世界ダントツのビリ成長国。米国3.9倍、英国3.8倍。韓国13.1倍、中国57.7倍。想像を絶する大改革をしてこのトレンドを変えないと10年以内に日本は経済3~4流国。その危機感が所信表明には全くない」
年金 わが首相が低成長に危機感をあらわにしないのは根拠がある。私たちの社会はGDPだけでは豊かさを測れない時代に入っているからだ。グローバル資本主義が加速する富の稀少性の縮減は、モノやサービスにおける交換価値のウエートを下げ、使用価値のウエートを上げている。インターネットの世界で進む映像や音楽、テキストなどの無料化、低価格化はそのわかりやすい例であり、それがいまリアルな世界にも広がっている。それは安かろう悪かろうを意味しない。逆に性能や質は向上し続けている。そうした使用価値の増大はGDPに反映されない。
30代 ジイさん、政権の肩を持つ気か。
年金 アラを探すだけでなく、いいところを押さえておかないと、トータルな政権批判はできない。この政権のいいところのひとつは時代の大きな流れを見逃していないところだ。いま勢いづいているMMT(現代貨幣理論)を実践しているとの見方もあるアベノミクスにそれがあらわれている。
30代 で、その流れとやらはどこへ向かってるんだ。
年金 金融経済が実物経済を凌駕しているのが現在の世界経済だ。MMTはその金融経済のバーチャリティー(仮想性)を指摘し、実物経済で進む富の稀少性の縮減をあぶり出した。『MMT現代貨幣理論入門』(L・ランダル・レイ著、島倉原監訳、鈴木正德訳)の説明にしたがって私なりに理解した金融経済と実物経済の関係を言ってみる。
金融経済は貨幣の貸し借り、つまり債権と債務から成る。だれかの債権はだれかの債務であり、それらを差し引きするとゼロになる。つまり全体としては蓄積されることはない。これに対し、実物経済では差し引きゼロはあり得ない。マイナスの実物資産は存在しないからだ。実物資産は蓄積することができる。その蓄積によって富の稀少性の縮減が進行し、それが加速しているのが現在だ。
政府が国債を発行し、支出を増やせば、実物資産の需要が生まれ、その生産によって富の稀少性の縮減が進む。政府部門の赤字は増えるが、そのぶん民間部門は黒字が増え、差し引きゼロになる。結局、実物資産だけが残り、積みあがっていく。
だとしたら、政府の借金は恐れる必要がないばかりか、民間の企業や個人を豊かにするはずだ。そして、そのこと自体が財政インフレに対するブレーキとなる。
30代 都合のいい理屈に聞こえる。
年金 MMTは「租税が貨幣を動かす」と主張する。政府の発行する通貨が流通するのは、税の支払いをその通貨でするよう政府が強制するからだ、と。
租税は柄谷行人の想定する4種の交換様式のうち国家の土台をなす交換様式B(略取と再分配)にとって不可欠の要素だ。近代以前は物や労役で支払われていたのが、交換様式C(商品と交換)が支配的になった近代以降は貨幣で支払われるようになった。
税の支払い手段が物や労役から貨幣に移ったことで、国家の性格もミシェル・フーコーのいう「生権力」に変貌した。それは国民を生かす権力であり、国民に死を与えるそれ以前の権力と対照をなす。
生権力の国家は国民を生かすために、公共事業、社会保障、教育などを通じて富を再分配する。その規模はそれ以前の社会とは比べものにならないほど大きく、貨幣なしにはできない。
近代以前の国家にはそれだけの規模の再分配はできなかった。生産力が低く、富が稀少だったからだ。国民全員を生かすことは不可能で、死を与えることが不可避だった。