ニュース日記 709 戦争の現在
30代フリーター やあ、ジイさん。サウジアラビアの石油施設への攻撃をめぐって中東で緊張が続いている。
年金生活者 トランプは攻撃にイランが関与した可能性を指摘しながら、「戦争は望まない」と表明した。中東に部分的に残っている東西冷戦を終結させる戦略を描いているからと思える。
トランプは金正恩との首脳会談で、事実上の朝鮮戦争終結宣言をした。北東アジアに残っていた東西冷戦の終結をはかるためだった。次はその中東版を目指していると見ることができる。
30代 彼は何を狙っているんだ。
年金 冷戦がアメリカに負わせた世界の警察官としての役割を降り、その負担から逃れることだ。それは大統領選の公約だったアメリカ第一主義の主要な柱となっている。
数次にわたる中東戦争は宗教的、民族的な対立だけでなく、東西冷戦の代理戦争という側面があった。今も続くイランとイスラエルの対立は、熱い戦争だった代理戦争が冷戦化したものとみなすことができる。
トランプはその状態を打ち破り、それを自分の手柄として再選に臨もうとしている。イラン核合意からの離脱はそうした選挙戦略に反するように見えるが、前政権の成果である合意をご破算にし、新たな合意をしたほうがすべて自分の手柄にできるメリットがある。
30代 日本では中東のような安全保障上の緊張より災害の頻発による緊張が高まっている。
年金 台風15号の影響で千葉県を中心に続いた大規模な停電のニュースは、戦争と災害をめぐる前天皇の言葉を思い起こさせた。
彼は天皇としての最後の誕生日の記者会見で、平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに安堵していると打ち明ける一方で、「心に残るのは災害のこと」として「言葉に尽くせぬ悲しみ」を吐露した。
平成が戦争のない時代として終わったのは、東西冷戦を境に世界の戦争の本流が流血と破壊の熱い戦争、リアルな戦争から、抑止力を競い合う冷たい戦争、バーチャルな戦争に移ったからだ。
他方、阪神大震災、東日本大震災をはじめとして平成の30年間に多発した災害は、厳しさを増す地球環境の現状を告げるものとなった。それにくらべれば、安倍政権が強調する「安全保障環境の厳しさ」は逆に減少しているといわなければならない。戦争のバーチャル化を加速した米朝の接近はそれを物語っている。
このような戦争と災害の対照的な変化を踏まえた前天皇の発言は世界に対する基本的な洞察の確かさを感じさせる。そこから導き出される課題のひとつは、自衛隊の任務のウエートを防衛出動から災害派遣に移すことだ。そうしないと、国民の生命と財産を守る任務に大きな穴が空く。
30代 戦争よりも災害のへの備えがはるかに急を要するはずなのに、若い層には憲法9条改正に賛成する意見が多い。彼らが年を取れば、賛成派は高齢層にも広がって国民の大多数を占めるかもしれない。9条改正は安倍政権下ではできないにしても、いずれ実現するのではないか。
年金 産経新聞社とFNNの世論調査(2017年5月)によると、憲法9条に自衛隊の存在を明記する安倍晋三の改正案に賛成が最も多かった年代は、男性が30代の74.7%で、次いで10・20代の66.7%だった。女性の賛成は10・20代に最も多く64.7%、これに30代の50.0%が続いている。
なぜこうした傾向が見られるのか。若い世代ほど戦争を知らないからだというのが、いちばんよく目や耳にする説明だ。この傾向を未来に向けてそのまま延長すれば、9条改正賛成派は現在よりもずっと増えることになる。だが、もし9条に対する考えが世代だけでなく、年齢によっても左右されるとしたら、そうした予測は必ずしも成り立たない。
9条改正に賛成あるいは反対する国民の心情を推し量ると、賛成派は反対派よりも戦争を容認する気持ちが強いと推察される。積極的に戦争を肯定する考えはごく少数だとしても、侵略されたら自衛のために戦うべきだという考えが賛成派には多いと推定できる。
戦争を容認する気持ちが強いということは、おのれの命を国家に預けてもかまわないという気持ちがあるということでもある。そうした死への傾斜は、私自身の過去を振り返ると、青春期がいちばん強かったような気がする。私は戦争には反対だったが、革命のためには死を覚悟しなければならないのではないか、としきりに考えた。
30代 生涯で最も生命力にあふれているはずの時期に、なぜ死のほうへ傾いていくのか。
年金 うろ覚えのまま言うと、吉本隆明は産卵の直後に死ぬサケの生態をあげて、それを説明していた。人間にも進化段階としての魚類の部分が残っているのだ、と。
年老いたいまの私は、戦争のためだろうが、革命のためだろうが、公のためにおのれの命を投げ出すなんてまっぴらだと思っている。戦争への忌避感は募る一方であり、9条の書き換えには理屈以前に拒絶反応を起こす。
こうした自分の変化から類推すると、9条改正に賛成の今の若い世代が将来も同じ考えであり続けるかどうかは疑問と言わなければならない。